もう私が書かなくても皆さんご存知でしょうが、先週末に行われた大阪のサルサイベントISASのチャンピオンシップ部門でなんとサンライズが優勝してしまいました。ほんとにびっくりしました。まさか優勝なんて、って思っていたので1位でサンライズの名前が呼ばれたときにはもう、興奮と呆然とがなんかよくわかんないようにミックスされ涙もでませんでした。パフォーマンス本番前、ステージ裏ではみんな大緊張。私も今までにないくらいに緊張し、体が地を踏んでくれず立っていられないくらいでした。いざ、本番でステージに上がると、目の前には広島の顔がいっぱいでうれしいのとおかしいのとで(だってれんちゃん、あやP,智ちゃんがホアンマトスと一緒に応援してくれてるんだもん。)笑顔にならざるを得ない状況でした。どんな有名なダンスグループがでてきたのかと思うくらいの大きな大きな声援をみんなからもらい思いっきり楽しんでパフォーマンスすることができました。その結果優勝することができたのです。ほんとに応援してくれた広島のみんなのおかげです。広島のみんながいてくれて大きな声援をもらって私たちは笑顔でパフォーマンスすることができました。8人がひとつになることができました。勝因は教えてもらってないけどここだと思うのです。あと、和ちゃんのお姉ちゃんに作ってもらったブルーのきらきらの衣装!フランキーにも衣装を褒めてもらってうれしかったな。 改めて広島のパワーを感じました。広島でサルサを踊っていることを誇りに感じました。広島最高です!! ほんとに大きな声援ありがとうございました。翌日のカロールラティーノのパフォーマンスも最高によかったです。このときも広島勢は大きな大きな声援を送りました。ヒデキクンもパフォ後にステージで“ヒロシマ!!”と叫びましたよね。気持ちわかるよお。3人での初シャインパフォ、かっこよかったです。エリちゃんはきれいでかっこよくてまたまたスタイリングが上手になってて表現力もあり素敵でした。ひろしさんも二人に負けないくらいの存在感で3人個々の個性が出ててほんとにいいパフォーマンスでした。エリちゃんが投げたピカチュー人形も後々まで話題だったしね。
今回のイベントは私にとって今年一番の楽しい出来事だったかもしれません。初めて評価してもらおうと思って臨んだパフォーマンスが1位になることができたし、もうひとつ幸せなことがあって、それはなにかというと、あたしフランキーのパートナーワークのワークショップで彼のアシスタントをしたんですよ。全国のフランキーファンの方ほんとにすみませんでした。(ぺこり。)自慢するといけんかなあと思いながらも正直すごく嬉しいので自慢させてね。でもそのときは大勢の前でパートナーに選ばれてあまりにびっくりして、なんで選ぶん?ペアなんかできるわけないじゃん、って感じで嬉しいという感情はなかったけど、あまりに謙遜するとそれもまたいやみなわけだし、のりのりたちが応援してくれたのでなんとかパートナーを務めることができました。いっぱい失敗したけどね。こんないい思いをすることはそれこそ2度とないと思います。なのでとーっても大切な思い出!!
その他、ライブのことも書きたいので続きはまた今度!(っていつだろう・・・)
早いものでもう12月も半分終わろうとしています。時が経つのってほんと早い。いやになっちゃう。
“清美さん、早くコラム更新してください。いつもチェックしてるんですけど更新されてないんで最後の分暗記しちゃいましたよ。”とGろくん。ごめーん、これからがんばりまーす。(←心入ってません。)
まずは上口さんと智ちゃんの結婚。11月27日に籍をいれたそうです。おめでとうございまーす!!! リチャードもすっごい喜んでました。上口さんずーっと一人かもね、なんて二人で心配してたときもありましたが、以前も書いたけど、あんな美人でスタイルがよくて頭の回転も速くその上サルサもうまい(私はまだ知らないけど料理もうまいらしいぞ。)人をお嫁さんにできるなんて上口さんはほんと幸せ者、と思います。リチャードのお母さんも上口さんの結婚を知らせるときっと喜ぶと思います。何せ、リチャードのお母さんと上口さんは私とお義母さんの関係よりもっと仲がいいんです。(うん、ちょっと大袈裟か。)
これからも二人仲良く広島のサルサ界を引っ張ってってほしいと思います。
そして話し変わってなんと今週末は大阪でサルサの大きなイベントISASが開催されます。昨年から規模が大きくなり、サンライズも昨年はじめて参加したんだけど、とても楽しいイベントだったので今年も参加することになりました。今年は夏にNYで踊ったものと同じものをやります。なのでNYの和ちゃんを除いた8人で踊ることになります。そして今年はなんとサンライズ初!のコンペティションに出ることになりました。踊ったチームのうち1位から3位までが決定されるのです。いままでサルサのコンテストはあまり興味がなく、スタイルも様々で優劣はつけられないし、踊ってて楽しければそれでいいと思ってきました。(今もそう思ってるけど。) またコンテストに参加しようとしてルーティーンを考えれば狙いすぎて変にいやらしくなるような気もするし・・・(きっとあたしだけ?!)。ただ今回のサンライズはNYでやったものを踊るということが大前提で、振りがもう決まっていて大阪のステージで精一杯踊るという意味ではショーのみでもコンペでも同じ。だったら評価されたら嬉しいよね、ということでコンペの方に出場することになったのです。ほんとにどうなるかわからないけど、頑張って踊ってきたいと思います。そして少しでもいい報告ができればと思っています。大阪に行かれる方は声援よろしくお願いします。またいかれない方も心の中で応援してください。あ〜どきどき。
日曜日の今日、また見に行ってしまいました。モーターサイクルダイアリーズ。今かなりはまってます。前回見てからこの何日かはこの映画のおかげで夫婦の会話が増えてます。(笑) 今日の朝もスペインのテレビでこの映画の撮影ドキュメントのような番組やっていて、二人でテレビに食いつくように見てました。
今回は友江ちゃんと見に行きました。友江ちゃんも絶対行きたいと思っていた人なので日曜にしてもらい、一緒に行くことができました。
そんな友江ちゃんとの会話。
清美; “ねえ、クスコで出てくる男の子リチャードの子供の頃そっくりじゃけん、チェキラしてみて。”
友江; “だったらリチャードの子供じゃない?”
き: “・・・・”
と; “何歳くらいのコなん?”
き: “うーん、6,7歳くらい。”
と; “あなた達ペルー行ったでしょ。あれいつ?”
き; “7,8年前。・・・え!?まじ?(そういえば夜私をおいてひとりで友達に会ってくる、って出かけたこともあったなあ。)”
なのであのコはリチャードジュニアかもしれません。
そのリチャードジュニア君、映画上映の前に映画館に貼ってあったその映画の新聞の切り抜き記事を読むと、映画撮影の時にクスコで偶然出会った普通の男の子なのらしい。また登場する先住民も普通にクスコで生活している人らしい。クスコでは先住民にインタビューっぽく現状を問いかけるシーンがいくつか出てきますが、今回それを知って映画を見ると、なるほど、確かに芝居の撮影ならタブーの赤ちゃんの声や雑音が入ってる。そして主役二人の表情が明らかに違う。リチャードジュニアに笑いかける顔は芝居ではなくとても自然で素敵でした。
ペルーの話ばかりでごめんなさい。ただリチャードジュニアが役者じゃなければ、着ていた服もあの子の私服になりますよね。ぼろぼろまでいかないけど破れて穴が開いてるぼろい服着てました。映画終わって友江ちゃんと感想を話し合いながら駅まで送り届けたあと、一人でまたいろいろ考えると3千円以上のお金を払って映画を見て(2回分ね。)宇品イオンショッピングセンターで嬉しげにアルパカ100%のカーデガンを買っている自分を考えると私はほんとにラテンアメリカを理解したいのかな、こんな私がえらそうに語れる資格があるのかとなんか矛盾を感じ一人涙するのでした。
行ってきました。革命家チェゲバラが若い頃南米大陸を旅したときの冒険物語:“モーターサイクルダイアリーズ”。
この映画を知ったのはいつもいろいろなラテン情報を届けてくれる上口さんのメールから。
私はこれはリチャードと行くしかないと思いました。なぜかというとまず映画は二人の唯一の共通する趣味。(ここで二人の共通する趣味はサルサ、と書けないのは残念だけど。)そしてその映画はスペイン語で見ることができる。加えてそれがチェゲバラの映画なんて・・・もちろんこの映画には政治的意味は入ってないないけれどラテンアメリカの人なら知らない人はいないという偉大な革命家の若き日の映画であれば政治、経済、歴史大好きなリチャードなら見ずにはいられないと思い、こんなんあるよと誘い行ってきたのでした。感想はねえ、主役のエルネスト(チェゲバラのことね)を演じたガエル ガルシア ベルナル、超かっちょいい。ちょっとDJジョニーちゃんのお兄さんレアンドロに似ていますが“ラテンのブラピ”と言われるだけありセクスィーで素敵なのです。これだけで見る価値ありです。に加えて、ペルーのクスコ(リチャードが生まれた街)のシーンで男の子が出てくるんだけど、この子がリチャードの子供の頃そっくり!!なんです。リチャードの子供の頃の写真なんて数えるくらいしか見たことないけどその顔に映画のあの子がそっくりだったんです。でかい鼻、目、髪型、クスコ(ていうか高地)特有の赤い顔、レオンもよくリチャードに似てると言われますがレオン以上です。あれこそリチャードの分身といえる。私が何度もリチャードに“あの子あなたにそっくりぃ!”小さな声で叫んでいたのでリチャードもしまいには笑っていました。
あ、そうそう映画の内容ももちろんよかったです。(月並み表現ですみません。)もともと私は政治経済に疎く歴史も苦手。それでもリチャードと知り合ってからはヨーロッパやラテンアメリカの歴史をアバウトだけど聞かせてもらっていたし、チェゲバラについてもリチャードからこんな人、って聞かされていました。そのチェゲバラ(映画ではファーストネームのエルネストで呼ばれてます。)は若くてまっすぐな人。その彼が友と南米を旅し、さまざまな人に出会うに連れて彼の考え方が変わっていく、というか彼が目指すべきものが見つかっていくのがわかるんです。セリフひとつひとつに意味があるんです。ああだから彼は後の“チェ・ゲバラ”になったんだなと。(ここで革命家と言う言葉は使いたくなくて後に革命家になるだろうと思わせる程の政治的なものは組み込まれてないし、映画のエルネストはとても人間的に描かれていて、真っ直ぐで勇気ある青年で、でも見終わった後何か見つけたな、何かやるなって感じるんです。)
そして映画の中にはアルゼンチンはもちろんチリ、コロンビア、ベネズエラそしてペルーもかなり出てきました。ここもペルー人の家族を持つ私としてはかなりのポイントです。そしてまだサルサのない時代、タンゴやマンボで踊ってましたよ。
ただひとつ悲しいのがこの映画は1950年代の話。たくさんの生活(この場合“生きる”かな)に困っている人が登場しますがこれらの問題が今現在のラテンアメリカでも未だに残っていると言うことです。
昔リチャードがペルーに未来はないから戻らない。と言ったことがあります。現にリチャードの二人のお姉さんとお母さんは今スペインに住んでいます。(お父さんはもう他界してるんだけど。)そして私がどうしたらペルーがもっといい国になると思う?と聞いたらリチャードは“私が大統領になったらいいと思う。”っていいました。もちろん真剣にです。私たちの周りの日本人で総理大臣になりたい。私が拉致問題解決してあげるって言う人なかなかいないですよね。リチャードのそんなところちょっと尊敬してます。
そうそう話し少し変わって私が友江ちゃんを好きな理由はラテンアメリカの事情を一緒に話すことができるところもなんです。友江ちゃんはサルサだけでなくラテンアメリカの文化にも関心のある人。(キューバにも旅行したことあるしね。)じゃあ、二人で今からスペイン語でしゃべろ。と言って30分も持たない私たちですが・・・
今日はちょっと日記風。(サルサと関係ない話です。)
昨日の日曜日、私は大好きな人とデートをしました。彼と付き合うようになってもう1年8ヶ月になるかな。デート場所は宇品港。結構お勧めですよ。建物が新しくなっておいしいレストランもあるし、近くには公園もあり、もちろん海も見えてムード満点です。(宇品港の詳しいことはれんちゃんに聞いてね。)
というわけで私たちもちょっぴりおしゃれをして宇品港のビルにあるイタリアンレストランに入りました。彼はじゃがいものニョッキ、わたしは明太子のクリームソースパスタを選びました。でも彼ったら甘えん坊で時々私があーん、て食べさせてあげるの。そうすると彼も私にあーん、って彼のフォークを私の口に入れる。ここのニョッキがまたおいしくて私が今まで食べたニョッキの中で一番と思う。トマトソースもおいしかったし。彼もほぼ一皿たらい上げてました。二人で海を眺めながらのランチはとても満足できるものだったな。
その後は公園で二人でお散歩。追いかけっこをしたり、うふふふ、あはははと(テレビドラマやコマーシャルでよくある)お互い抱き合って回ったり、ちょっと暗くなりかけたので私が“ベシート”とキスをせがむと私の口にチュッってしてくれたり・・・ああ、なんとロマンチックなデートなんでしょう!! 私のデートの相手もうわかりました?そうそれは私の愛息子レオンでした。
私たちが二人の愛の巣に帰るとなぜか家に住みついているおじさん(名はリチャード)が外の庭にクリスマスのイルミネーションを飾っていました。そう夜になるとピカピカするやつ。実は憧れてたんだよねえ。今年引っ越してから庭があるのでちょっと張り切って綺麗にやってみようと思います。
実はクリスマスツリーも買いなおして大きいのにしました。レオンと一緒に飾るはずだったのに飾ったものをはずすのに夢中。絵本やぬいぐるみまでツリーにのっけようとしたり・・・しようがないな、かわいいから許してあげる。
てなわけで私のロマンチックな休日は終わり。レオンが大きくなってこれを読んで私のこと嫌いにならないといいけど・・・
(写真はまきちゃんや和ちゃんがいるころ、2000年マーズ黄金時代のもの。左から和ちゃん、まきちゃん、由紀ちゃん、りこちゃん、友江ちゃん)
私がサンライズに入った2001年1月から友江ちゃんがチームを引っ張っていくことになりました。というのもその年からリーダーであったまきちゃんがサルサから少し離れることになり、また和ちゃんもニューヨークにサルサ留学に行ってしまったからです。(もちろん今でも和ちゃんはサンライズのメンバーであり総リーダーです。)
大きな柱が同時に2本も抜け、柔軟とベーシックからお願いしまーす、という新人の私(そしてれんちゃん)が入ったので友江ちゃんはほんとに大変だったと思います。ニューヨークのかずちゃんと密に連絡を取りながら5月のコングレスに向けてやっておかないといけないことを一生懸命教えてくれました。当時は友江ちゃん、りこちゃん、佐和ちゃん、瞳さん(あれ、何でいるかって。瞳さんも5月のLAに向けてのメンバーだったんですよ。)、れんちゃん、そして私が練習に集まっていました。
そのころは友江ちゃんとりこちゃんの踊り方がさすがマーズ!と思うくらい似ていたような気がします。似ているというか、手のあげ方やタイミングがさすがずーっと一緒に練習しているだけあるといった感じでした。一緒に練習するにつれて私とれんちゃんも手の上げ方や、下ろすタイミングが同じ、といわれたことがあります。さすが同期。が今では私はれんちゃんのアームスタイリングが大好き。あんなふうに踊りたいと思うようになってしまいした。(あれれれ???それじゃいかんだろ。)
とまあ、そんなこんなでそれからのサンライズはりこちゃんがお休みしたり、(あれ、まだメンバーじゃなかったの、とつっこみが入りそうな)かおりんが入ったり、由紀ちゃんが復帰したりでみんなで仲良くあちこちでパフォーマンスをやってきました。(それからもあたい、佐和ちゃんの妊娠、れんちゃんのお休み、りこちゃんの復帰、りょうこちゃん加入などありましたが、)
ここまでサンライズが頑張ってこれていろいろなところに行ったり、みんなで楽しく踊ったり、それなりに評価してもらえるのはすべて友江ちゃんのおかげだと思います。まず友江ちゃんは私たちのために、自分の持っている力を惜しまずに教えてくれます。みんなで上手になっていこうという気持ちを持っていてくれます。私たちは先生、生徒の関係ではありません。なのに教えてくれるのです。またニューヨークから振りのビデオが来たときも一番に解読し、教えてくれます。何度も何度もビデオテープを見て、その振りを完璧にしようとする努力はすごいです。私が20回テープを見るなら友江ちゃんは120回見ます。ほんとは私たち(みんなごめん、複数形にしてしまった。)がもっとテープを見て練習しないといけないのに・・・なので友江ちゃんの言うことはみんな素直に受け入れます。努力家でしっかりしていて(このしっかりっていうのはサルサに限ります。私生活ではけっこうどじです、彼女。)練習の進め方も、注意の仕方も上手。この注意の仕方ってのもポイントで私なんかおだてりゃ木に登るけど、打たれたらそのまま沈んでいくタイプで立ち直れないんだよね。そんなあたしがサルサ続けてられるのもサンライズだから、友江ちゃんだからだとほんとに思うのです。
友江ちゃんは私の人生変えた人の一人であり、mi hermana en vida なのです。
みなさーん、お待たせいたしました!!(誰も待ってないって?!) ほんとに書きたくて書きたくて仕様がなかったんだけど、これを語るにはかなりの時間が必要かなと思い、ゆっくり誰にも邪魔されずPCに向えるときを待っていたのです。
さあ!それでは発表したいと思います!(Kりん!ドラムロール用意!ドロドロドロドロードン!!)
私のサルサ人生を語るにはずせない3人めの方はサンライズのリーダー友江ちゃんです。(これを呼んでくれている人でビンゴの人いましたか?)
友江ちゃんは私のサルサ人生にLUZのスイッチを押してくれた人。(電気と書くのはかっこよくないし、光と書くのはかっこよすぎるのでどちらとも取れるスペイン語ルスを使います。)もっと簡単にいえば、私をサルササンライズに入れてくれた人です。忘れもしない2001年1月、バルコのカウンターで“清美さん、一緒にロスでハートブレイクボーイズと踊りませんか。”と声をかけてもらい私はサンライズメンバーとなったのでした。(実は同じ日同じ場所、ほぼ同じ時間、れんちゃんも声をかけられメンバーとなりました。私とれんちゃんはサンライズメンバーとしては同期なのでーす。)私は嬉しくて泣いてしまったのを覚えてます。当時はファシナシオン、サンライズ(当時の名はマーズ)が初LAコングレス出場や東京コングレスに参加した後の頃でみんながとーっても楽しそうに踊ってるのを実はとーっても羨ましく見ていて私もやりたいな、と正直思っていました。でもみんなその頃からとても上手でファシナシオンなんかスイングやっちゃったり3回転なんかしたりしてマーズもお尻をボンボンボンって振ってて自分の当時のレベル(もとマーズリーダーまきちゃんのレッスン時々とたまに上口さんとしょうちゃんが踊ってくれる程度)とはずいぶんかけ離れていて絶対入れっこないし、自分から声かけるのは断られるのが怖くてできないし、という感じで一人寂しくダンスフロアを見つめていたのでした。そんなときの友江ちゃんの誘いはほんとに嬉しくてだから泣いちゃったんだと思います。その後はもうサルサ人生ならぬサンライズ人生まっしぐらですわ。
実は友江ちゃんとはバルコで知り合ったと思われるでしょうが実は違います。友江ちゃんはバルコができる以前、リチャードのスペイン語の生徒だったのです。この組み合わせはリチャードに前から仲のよかった上口さんが彼のサルサパーティーに来ていてスペイン語習いたいと話していた友江ちゃんを紹介したのがきっかけでした。(あ、上口さんここでまた登場です。さすがキーパーソン。)なのでバルコができてから友江ちゃんがお店に来てくれると嬉しかったし、友江ちゃんがハワイかどこかに行ったお土産をサルサ仲間だけでなく私にも分けてくれたのも嬉しかったのです。そんなことしてくれるのは当時友江ちゃんくらいでした。そんな友江ちゃんと一緒に2001年の1月から私は踊ることになったのです。
今でもよく考えるのは私がサンライズに入ってなかったら、です。人生楽しんでるかな、今くらいサルサ踊ってるかな、サルサ上手くなってるのかな、などなど・・・考えると怖い、です。もともと友江ちゃんは2001年5月のLAコングレスに向けメンバーが足りないので何人かの人に声をかけたらしい。が断られ仕方なくカウンターでため息混じりにストーローで氷をつつきながらたまたま目の前にいた私に半分やけっぱちで声をかけたとか、かけないとか。(遠い昔の話じゃったぁ。。。昔話風に。)なのでそのとき断った皆々様、あなた様のおかげで今の私がいます。いろいろな事情で断ったのでしょうが結果、私がサンライズに入ることができました。どうもありがとう。
友江ちゃんとサンライズの話もう少し書きたいなぁ。−−−−−−つづく−−−−−−ー
以前にもいずれ触れたいと書いた、私がサルサを教えているという事実。
本当に教え始めてもう1年も経ってしまいました。今でも“私が教えていいんだろうか、自分だってできてないとこいっぱいあるのに・・・”という気持ちが消えていないのは事実。この前も書いたように私はずうずうしいくせに(これは書いてないか。)小心者で他人をすごく気にしてしまうところがあるので、私がレッスンすることを“なんであんな人にレッスンができるん?!と言われるんじゃないかと考えるのが怖いのです。もちろんそんなことばかり考えていたら、せっかくのチャンスだって逃してしまうので、ポジティブに考えようとしてるし、考えるときもあります。それに教える以上私自身がネガティブだと生徒さんにも失礼だと思うのでもちろんそれなりの責任と自覚を持って教えています。
そして私にやってきた(やってきてくださった)チャンス(この場合いろいろなところからのレッスンの依頼)を本当に私ができるクラスか、この場合ほかの人が向いてるかな、私(そして家族)の生活に支障はないか、などをよく考えて答えを出すようにしています。そんな私がつい最近イエスと答えを出したのがなんとクラブレッスン。クラブレッスンは私は以前から抵抗がありました。クラブレッスンはその日その日でレッスンに来る人がばらばらだし、人数も違います。習う側からみると拘束がなく行きたいときのみでいいのでとても行きやすいレッスンですが、先生から見ると今日は何人かなとか、今週はほかの先生のところに行ったよ、なんて具合でとても不安なんじゃないかと思うのです。元バルコスタッフK美(彼女は妊娠するまで毎日のようにバルコのレッスンを見ていました。)の証言でクラブレッスンは私は絶対いやと思ってました。
そんな私がクラブレッスン!? といってもバルコじゃありません。バルコでする勇気はまだありません。他人様のお店です。西条のリスペクトで月1回第3木曜日にシャインとスタイリングのレッスンをすることになりました。これもリスペクトのマスター直々に電話があり、ホントは毎週のシャインレッスンの依頼だったのです。そのときは週に2回も西条に行くのはきついかな、レオンのために夜のレッスンはこれ以上無理かな、とか考えて断るつもりだったのですが、Mきちゃんに“清美さんのレッスンが受けたい”と言われて考え直し(うーん結構あたし単純。)、月1でよければという話で合意したのです。しかもリスペクトはゲンキ君がON1で教えてるところ。いきなりシャインやったことのない人がしかもON2でやるのはきついし、実際にフロアで使えないと意味がないと思って今年3回はON1でのシャインレッスンになりました。実は第1回目が21日の木曜日にあったのです。私がリスペクトに到着したときはお客さんゼロ。だからクラブレッスンはいやなんだってばぁ。て思ってるうちに少しずつ増え、結局11人でのレッスンとなりました。そのうち男性は3人の参加。男性を教えることもほぼ初めてなので緊張しましたが、いちおう男性用のスタイリングも考えてあったし、生徒さんもいい方だったので喜んでもらえました(ここがほんとに一安心)。ゲンキ君も途中から応援に来てくれ手伝ってくれました。
これからもバルコで上手に踊っている女性を見るたび、またJちゃんのHPを見るたび“あー、やっぱり私、教える資格なーい。”と凹むこと多々ありでしょうが、サルサダンスの技術だけではなくサルサの楽しさを伝えるのよ、あなたにはそれができるのよ。と自分に言い聞かせ日々精進したいと思います。
実は知る人ぞ知る、とーっても恥ずかしがり屋のわたし。自分から実はバルコのHPに自分のページがあるの、なんてとてもじゃなく言えませーん、のわたし。なのでいつくらいにみんなに私がこうやって書いてるの知れるのかなとちょっとわくわくどきどきしながら生活していました。ようやく最近私がこんなことしてるのがばれつつあります。“清美さん、いつも日記チェックしてみてますよ。更新されたかなあって。3人目のキーパーソン誰かなあって。”By Fちゃん。(どきっ!すみません。早く書きます。)“きよたん、いつの間に日記書きようるんねえ”By Kリン。“きよたん日記書きようるじゃろ。Kリンから聞いたよ。”By T江ちゃん。などなど・・
そんなみんなに一言言いたーい。
“これは日記じゃありませぇーん!!! れっきとしたコラムなのでぇーす。”
一応ここは私のプライベートサルサトークの場で、私のサルサに対する思いや、出来事、サルサな人について書いていこうと思っていて日記ではないのです。もし日記にしてしまうと、私も“はぅ〜はぅ〜”のパン屋のフレーズは聞いた日一日頭から離れないので書きたいし、日常の出来事を書いちゃうと育児日記になりそうだし・・・・(うん?それもありか?)それに日記だと頻繁に更新しないといけないでしょ。
そうそうそれができないから日記とはいえない。(週記それとも月記か?)たまーに更新されている読み物として捉えてくださいな。
なーんて全然なんでもいいんだけどね。ほんとは。
秋といえば芸術の秋です。今年の秋もサルサという芸術のイベント盛りだくさんでした。(えっ?
もう過去形?!)
9月19日には広島王舎城でファシナシオンラティーナスペシャルメンバーによるパフォーマンス、そしてオルケスタデラルスによるライブをのりのりで楽しみ、その夜はノラさんはじめデラルズメンバーほぼ全員がバルコに遊びに来てくださいました。
23日は東広島市での国際交流祭り“ガドガドまつり”に雨の中家族3人で足を運び、西条でレッスンされているセサルさんのメレンゲやゲンキ君のチームによるサルサパフォーマンス、おばっち、りんちゃんも参加していたカポエイラなどを見ました。今年は雨で運営側もお客さんも大変だったようですが、このお祭りは今年でなんと10回目だそうです。主催の田村さんは私たちが西条に住んでいるときからの知り合いで個人レベルで熱心に国際交流されている方の一人です。リチャードもいろんな国の人がお店を出せてまたお客さんとしても楽しめるこんないい祭りはないと大絶賛!!ほんとに雨だけが残念でした。でもその雨のおかげでうちのレオ様のカッパ姿を見ることができ、親ながらそのかわいさに感激♪した日でした。
(私の西条の生徒さんもセサルのチーム、ゲンキ君のチームに入ってがんばって踊っていました。2人にとってこれが最初のパフォーマンスだったと思います。お疲れ様。)
そしてこの間もふれた26日は私のクラスのある文化教室の発表会。25日に衣装を着てステージにたってのリハーサル。みんなこのときすでに緊張してました。本番当日は運動会があってぎりぎり間に合ったひとや、仕事で間に合わなかった人もいてばたばたしましたが、なんとかみな無事に本番を終えることができました。緊張したけど楽しかったという意見がほとんどで私もやってよかったと胸をなでおろしました。というのもなんせ文化教室です。パフォーマンスを目的に作られたクラスではありません。年代も幅広く入った目的もさまざまだろうしそんな約20人のみんなに衣装をお金払ってそろえてもらうのは私自身本意ではなかったのです。が結果として発表会にみんなで参加するということがみんなの気持ちをひとつにしたんだと思います。そしてこの日は私の広島の生徒さんもわざわざ見に来てくださいました。そしてサンライズの友江ちゃんも1番前の席でうちのレオンと一緒に応援してくれました。感謝です!!
10月に入り、2日は毎年恒例の広島城秋祭りにサンライズとして踊ってきました。ご存知ピンクレンジャーの衣装でチャチャチャを踊りました。ファシナシオンのHPに友江ちゃんのちょーかっこいい姿の写真が載ってました。ありゃーほんまええ写真じゃ。今回2回ステージがあったのですが、不思議なことに2回目のステージに上がり、お客さんを前にしたときなんだかすごい嬉しくて楽しくて笑顔が自然に出てきました。あんな感覚初めてです。全然緊張もせず、とにかく楽しくて笑ってました。ビデオで確認してないのでうまく踊れたかどうかはわからないけど、なんであんなに幸せな気分で踊れたんだろうって感じです。今後すべてのステージであのテンションで踊れたらいいなと思うくらい。
3日はもうひとつのファシナシオン参加イベント、ペアセロベには参加せず(すみまちぇん。)バルコでのロスバリエンテスによるパーティーに備えました。久しぶりにバルコのカウンターで仕事しました。以前は毎日のようにここからみんなが踊る姿を見てたんだなあと思いながらパーティーを楽しみました。ペドロさんが主催なので大阪、高松からの参加もあり早い時間はなんかバルコじゃないみたいでした。はっきり言います。県外からいらした男性はみんなおしゃれでしたよ。広島男性か否かは服装で判断できるくらいみんな素敵なシャツを着たりされてました。広島男性諸君、少しは見習おうよ!!ってよれよれTシャツの男性たちと踊るのも大好きなんだけどね。(注:広島にももちろんおしゃれな人はいます。えーと、数えるくらい・・・)そしてこのパーティーの目玉は高松から来た2組ペアと小松君、よしこちゃんの3組によるパフォーマンスでした。パフォーマンスルーティンはさすがペドロさん(ですよね?!作ったの。)で飽きの来ない、アクロバチックありの楽しいものでした。なんといっても途中で入ったアフリカンは圧巻!!あの体の動きに私は鳥肌が立ちそうになりました。(そして正直ちょっとやられたぁ、と思った。)それくらいすごくてかっこよかったです。特に小松君。広島にあんな動きができる人がいたなんて。すばらしくかっこよかったです。前面から見たかったよお・・・
というわけで秋はほんとにイベントがたーくさん。10月末には東京でサルサコングレスもあるしね。
うーんとあまり大きな声で言うのは恥ずかしいのですが、実は私は昨年10月からサルサを教えています。教え始めてもうすぐ1年になろうとしています。この1年間で最初1つだったクラスも広島市で1つ(中国新聞文化センター興銀ビル教室)、東広島市で2つ(西条プラザ文化教室2クラス)の計3つになりました。*私がサルサを教えるということについてはまたいずれ触れたいと思います。*
この26日(日)に実は発表会があるんです。東広島の西条プラザの文化教室で頑張ってる生徒たちの発表会です。フラダンスや、こどもバレエ、太極拳なんかもある中でサルサも今回はじめて参加することになりました。2つクラスがあるので別々の作品を練習してきました。そして初めて約1年経つほうのクラスではなんと2つやっちゃいます!!サルサの枠として計3つのパフォーマンスをすることになります。そして見に来ているお客さんにサルサだけでなくラテンの楽しさが伝わるようにしたいのでその3つの音楽は1、メレンゲ、2、ラバンバ、3、サルサという風にしました。(一応全部私が振付しました。ふふ。)
生徒さんはほんとにさまざまで大学生から60代の方までいます。そしてみんな一生懸命がんばって私のレッスンについてきてくださっています。
そんなみんながステージに立つことを考えるだけで胸がこみ上げてくるものがあります。
実は今回発表会ながら衣装(トップス)を和ちゃんのお姉ちゃんにわざわざ作ってもらうことにしたのです。みんな揃ってキラキラでひらひらの衣装を着て、お化粧もいつもより濃くして、髪の毛は・・・って考えるだけできっと生徒さんもわくわくしているはず!? 広島の生徒さんも応援に来てくださるそう。
完璧を目指さなくてもいいです。とにかく笑って楽しんでほしいです。
コレを読んでる数少ない皆さんも私の大切な生徒さんの検討を祈ってください!
(お暇だったら西条まで足を運んでください。西条プラザ3F大ホールにて開催です。サルサは16:00〜予定です。ぺこり。)
ニューヨークコングレスでの話。
ここ2年くらい(私の知ってる限りでは)人気、実力ともに知られるようになってきたCOBO BROTHERS の兄弟二人。広島にもファンがいます。そのブラザーズが昨年同様今年もニューヨークコングレスに参加してました。特に人気があるのはミルトン。そのミルトンがフロアで踊ってました。“あれえ、ミルトン、かんちゃんに踊り方がそっくりぃ!!”と叫んだのはこの私。だってほんとに似てたんです。手を顔から体に沿ってなぞったり、口をつむいで上を見上げるそのスタイリングはまさに広島のかんちゃん。ミルトンったらかんちゃんのまねなんかしちゃって。
なーんてそんなはずがなくこれはもちろんミルトンファンのかんちゃんがミルトンになりきって(?)踊っているからなのですが。
ほんと似てたよぉ。ていうことはそれだけかんちゃんはミルトンになろうと努力していたということなのか??? かんちゃんに努力???
広島にはほかにもフランキーファンでフランキーに近づこうと頑張っている人がいます。そして彼らはホントにフランキーのようなボディムーブメントをどんどん身につけているし、踊り方もフランキーのよう。彼らと踊っていると、一瞬あまりに似ているのでドキッとしてしまうことがあります。すごーい、たくさん努力してるんだなと私の中で尊敬するダンサー達なのですが、今回の件でその尊敬するダンサーの中にかんちゃんも仲間入りでーす!
そうそうニューヨークの話、しないといけないなと思いつつ、あれも書きたいしこれも書きたい。と思ってて結局何もかけてない今日この頃ですが、今日はサンライズfor NEW YORK Salsa Congress の話。今回のニューヨークコングレスではサンライズはオリジナルメンバープラスファシナシオンラティーナガールズ総勢9人でパフォーマンスをしてきました。
彼女たちがサンライズとして今回パフォをすることに決まったのはゆかた祭りの練習をしている5月の終わり頃。実際練習に参加し始めたのはゆかた祭りが終わった6月前半でした。それから8月21日のニューヨークでのパフォーマンスまで約2ヶ月ちょっと。みんなホントーによぉぉぉく頑張ったのでした。と一言で片付けることはできないくらいみんなのがんばりようはすごかったのです。今回の振りは私たちが昨年ジャパンサルサコングレスの前夜祭でやったのと同じもの。キンバリーちゃん振り付けのとってもかっこよいけど早くて長ーい覚えるには大変な振りだったのですが、それを2ヶ月で覚え、また踊りこなすということをみんなはやらないといけないのでした。
その上、うちのリーダー友江ちゃんは振りを教えるだけでなくみんなにサンライズとしての体つくり、ベーシックの踏み方まで教えていきました。2ヶ月ですよ2ヶ月。私だったら、あんな長い振りを覚えるだけで2ヶ月かかっちゃうよ、ほんと。がしかーし!みんなはやり遂げました。振りは次回練習日までほぼ完璧に覚えてくるし、体つくりや、ベーシックもみんな自発的にやってるし、7月終わりにはフォーメーションも入れてみんな踊れるようになったのです。
みんなそれぞれ仕事がおそかったり、遠くに住んでたり、家庭があったりで大変だっただろうし、ましてや、7月。サルサのイベント目白押しでオリジナルメンバーも含めみーんな別のパフォ掛け持ちしてました。そんな大変な中でみんなほんとうによく頑張ったのです。中には自ら公民館などを借りて自主練習する人も・・・(しかも一人ではない・・・)
そんなみんなとの一緒のパフォーマンス本番はもちろん大成功!!個人個人思うところはあると思いますがニューヨークの和ちゃんも入れての9人、ひとつになって踊りぬいたのです!!
約2ヶ月間サンライズのメンバーとして頑張ったみんなのことをほんとに尊敬します。パフォーマンスの出来を語るよりみんなの頑張った過程を語りたいとほんとに思いました。私と一緒に踊ってくれてありがとう。
というわけで今週土曜日はみんなで打ち上げです。今回サンライズ隠れメンバーとしてビデオ撮りなど協力してくれたなゆちゃん(注;男性です)も一緒にベトナム料理食べに行きます。もちろん総監督(うちのレオン)も連れて行きまーす。
注;私はサンライズのいちメンバーです。私がサンライズについてコメントしていることは私自身の見解であり思いです。サンライズを代表して言ってるわけではありませんのであしからず。
いやあ、またまた前回からかなりの月日が経っておりますが、今回は言い訳があるんだよお。だって8日間ほどニューヨークに行ってたんだもん。って私が日本を飛び立ったのは19日。ほんとにほんとにほんとにほんとーは飛び立つ前に3人めのキーパーソンを終えるつもりだった。ぐすん。
3人目の方やニューヨーク報告もまた近じか(?)書くとして今日はこの28,29日と来広された東京のサルサインストラクター紀平まこもさんについてちょっと書いてみようかな?!
きっと広島でサルサ関係のHPを持ってる方何人かはまこもさんのサルサテクニックについてその素晴らしさを語るであろうから私は違った方面から彼女について語ってみたい。
私がまこもさんを知ったのはバルコができて、でもサンライズにはまだ入ってない頃の4,5年位前。当時私はある通信教育を受けててよく東京に行ってました。そのときに六本木のサルサカリベでレッスンを行っていたのがまこもさん。広島であんまりレッスンを受けたことのない私にとってお金を払って受けるレッスンとしてはまこもさんのレッスンが一番多いんじゃないかなと考えられるくらい東京に行く度に彼女のレッスンを取っていました。彼女のレッスンのよさは説明がほんとに的確!!そんなに話して疲れないのかと思うくらいよくしゃべります。あ、ちがった、説明してくださいます(笑)。いつもおなかいっぱい習って帰るといった感じ。広島からきましたぁ、っていうと、あ、ほんと、じゃあ踊ろう!っていってリードしてくれたり、インストラクターなのにホントに気さくで質問してもいつも嫌がらずに答えたりしてくれて当時から大好きなインストラクターでした。私がサンライズに入って、今度はコングレス等でお会いすることが多くなり、まこもさんの方から声をかけてくれてたり、サンライズのことを褒めてくれたり、私たちがアドバイスを求めたらきちんと答えてくださったり、なんてまこもさんは話しやすい人なんだろう、ってずーっと思ってました。その適切で細かい指導と気さくで明るい人柄で東京であれだけのサルサインストラクターがいる中で生徒数はトップクラスに入ると思います。(って、最近の東京サルサ事情を確認したわけじゃないけど自信あるもんね!)
そんな大好きなまこもさんをもっと大好きにさせた事件は3年位前に起こりました。SALSA120%という雑誌に“あなたはどんなタイプのサルサがすき?”というアンケートがあって、まこもさんが答えていたのですが、彼女の答えはこうでした。“私は日頃はほにゃららほにゃらら系サルサで踊っったりパフォーマンスしていますが(正確に覚えてないけどきっとジャズや、マンボなどの言葉が入るでしょう)、カミングアウトします。私は実はペルー、コロンビア系のクンビアっぽい土臭いサルサが大好きなのです!”私はきゃー!やったね、まこもさん。私はそんなまこもさんが大好き!と私の中でまこもさんの株がどんどん上がっていきました。私も今はON2サルサを踊ってるので曲もエレガントな曲や、ジャズ、マンボなどでも踊っていますが、クンビアや、80年代歌謡サルサ、土くさーいサルサを聞くと、体がむずむずとし、どうしてもバックステップ(クンビアステップ)してしまうのです。だってえ、そっからサルサに入ったんだもん。仕方ないじゃん。ってこれがまこもさんもそうなんだって。
日本を代表するインストラクターとあるパートだけでも感覚が同じということが私にとってはすごくうれしい。この部分だけで(もちろん尊敬するところはたくさんあるのですが)私はずーっとまこもさんを応援しようと思っているのです。ふふ。
まこもさんは今日も広島に1泊されるそう。月曜にお帰りだそうです。実は今日一緒にお昼ご飯たべっちゃったもんねえ。ホントーに楽しかった。また話聞かせてほしいです♪
いやあ、やっぱり私ってこういう人なのよね。前回から2週間もたってるじゃん。
というわけで早速その2の2を書き上げたいと思います。
上口さんが開催するイベントも月1ペースとなり最初はDJばかりで全然踊れないんですよ、っていっていたのが、1時間ごとにレアンドロとDJ交代することになって少しは踊れるようになったんですよ、って嬉しそうに言うようになったのももう7年くらい前の話かな!? レアンドロも今ではベネズエラでパパになってるそうな。(ジョニーちゃん談)パーティー前にダンスレッスンをしたり、レアンドロが主催でパーティーをやるようになったり広島でラテンフィーバーが進むころ、私とリチャードは隣の東広島市で同じようなダンスパーティーを開くことにしました。といってもずぶの素人ふたり、なーんにも持ってない。上口さんは第1回目からCDプレーヤー、ミキサー、そしてCDまでぜーんぶ貸してくれました。そして毎回毎回機材、CDを持って応援に来てくれたのです。感謝。感謝。そのパーティーがあったからこそ今のバルコがあるのです。
こんなこと、あんなことがあってついにエルバルコが1999年6月にオープン。当時はまだ東広島に住んでいたし、私は別の仕事をしていたので私は週末だけバルコを手伝っていました。金、土は主にカハ(スペイン語です。キャッシャー、受付です。)、日曜はお昼からペルー料理レストランとしてオープンしてたのでウエイトレスをしたり、ゆりちゃんの料理を手伝ったりしていたのですが、その当時も上口さんは毎週のように来てくれました。上口さんは火曜日にレッスンを持つことになったのですが、もちろん私は火曜は働いてないし、金、土は忙しく踊れないなか、上口さんは日曜によく私にサルサを教えてくれました。広島で毎日サルサが踊れるところができてみんなが上手になっていく中、上口さんは私にCBL(クロスボディリード)を教えてくれ“まっすぐ歩いて、まっすぐ歩いて”とダンスフロアの四隅を何周も回ったのを覚えています。みんなもこんなことしてCBLの練習してるのかなぁと不思議に思いながら・・・。
3F,トロピカルがオープンしてからも然り。スタッフとして仕事してるのでレッスンが受けれない私に時間を見つけては基本的なことを教えてくれました。
この前久しぶりにお客さんから“清美さんはどうしてON2なんですか?”と聞かれました。答えはとってもカンタン!それは上口さんがON2だからです。上口さんがON1を踊ってれば私もON1を踊っていたでしょう。
最近は私も昔のようにバルコで働いてないし、上口さんもとーってもかわいくてスタイルがよくて頭の回転の速くてその上ダンスの上手なパートーナーがいるので昔ほど話さないけど、(きゃー!智ちゃん、ジョーと話したいわけじゃないのよ。)今のバルコがあるのはホントーに上口さん、そしてマックさんのおかげ。この二人がいなければ、バルコはないし、サルサがこれほど広島に普及してるかどうかもわからない。これホント。
というわけで何が言いたいかと言うと、リチャードそして私は今後サルサ界で何があろうと上口さんを裏切ることはないでしょう。(なんてたってリチャードは上口さんのことを親友と思ってるし、*この場合は信頼できる友で信友かな!* 自称上口さんの恋のアドバイザーなのらしい!)
今日は私がリチャードからサルサという存在を知り、そしてそのサルサを踊ることを教えてくれた人を紹介したいと思います。その方はもちろんファシナシオン・ラティーナの上口雅彦さんです。上口さんとはリチャードと知り合ってすぐにリチャードに紹介をしてもらった。だからもう9年くらい前の話。当時上口さんは東京に勤務しており、リチャードはいつも上口さんのことを“僕には日本人のガバメンの友達がいる”と自慢していた。ガバメン?あたしはてっきり政治家の人かと思っていたが、そうではなかった。逢った当初からサルサが好きでそんな話ばかりしていた。というか聞かされていた。上口さんが広島に戻ってからもリチャードと二人で上口さんの家に行ってはペルーやブラジル、そしてプエルトリコに行ったときの写真を見たり(そのとき大阪の清美さんとの写真を見せてもらったようなきがする。)、上口さんがニューヨークで受けたプライベートレッスンのビデオを見たり(見せられたり?)していた。“このインストラクターはペルー人ですよ。”私もリチャードもレッスンには全然興味がなく、そのビデオはただただ流れていただけだったけど、今覚えばジミーアントン先生じゃないんだろうか??
そんなサルサ好きな上口さんが他のペルー人や、後にここで書きたいマック西本さんらともにダンスパーティーを定期的に開くことになった。当時はまだサルサといっても広島の人は???って感じだったので当時はやっていたマカレナを踊ろう
や、中南米の人と国際交流!とかでPRしていたように思う。実際、サルサだけでなくメレンゲ、そしてブラジルのエオチャンなんかもよくかかっていた。あのころ広島にこんなたくさん中南米の人がいると知らなかった。田舎ものの私のなかで外国人イコール英語の先生、だった。そして当時の私はサルサとメレンゲの音楽の区別がつかなくてリチャードのお姉さんたちにこれはメレンゲよ、とか教えてもらってステップを隣に立って踏んでいた。場所はサロンド藤川。今サルサ踊ってる人でここのパーティーに来たことある人いるのかなあ?
−−−− つづく −−−−−
今日はまだこのコラム(ていうのかな?)が始まったばかりなので私がサルサにはまったきっかけを書いてみたいと思う。
サルサは本当に私の人生を変えた。もちろんいい方向に。サルサとの出会いについて私は私の人生を変えた3人をここで紹介するとする。
まず最初に私にサルサという音楽を教えてくれた私のだんなさんペルー人のリチャード。彼と出会う前ちょうどオルケスタ・デ・ラ・ルスのアルバムがレコードアルバム大賞かなんかをとったころでサルサというトロピカルな音楽があることは知っていた。がそれから何ヵ月後かにそのサルサという音楽が自分の家で日曜の朝、掃除機の音とともに流れてくるとは予想だにしなかった。当時サラリーマンだったリチャードは日曜は張り切って朝っぱらからサルサを聞きながら掃除をしていた。そのころ私はレゲエとかが好きであまりサルサに興味はなかったけど、リチャードが好きな曲なら、とあんまり気にせずに聞いていた。だってその当時私はラテン諸国にもその文化にもスペイン語にもまったく興味がなく、たまたま好きになった人が(好きになってくれた人という表現が正しいかも!?)ペルー人だったということだけなのです。
これが私とサルサのほんとうに一番最初の出会いではないかと思うのです。ハイ。
あ、そうそう私とリチャードはバルコで知り合ったって思っている人結構いるらしい。それは違います。バルコがオープンする前から私たちは結婚してました。
ここにも書いたようにリチャードに逢ってなければ私はサルサは踊ってないと思う。ほんとに今の人生リチャードのおかげでとーっても幸せなのです。
Hola! はじめまして。バルコのKiyomiです。この度、念願のバルコのHPができ、なんと私のプライベートサルサトークのページを作ってしまいました。がんばって更新するようにしますので今後ともよろしくです。(ペコリ!)